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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(オ)128号 判決

主文

原判決中、金二四九万三〇五〇円及びこれに対する昭和四九年一二月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払請求に係る部分につき、原判決を破棄する。

右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人松村正康の上告理由について

原審は、(一) 被上告会社の被用者である被上告人伊東は、昭和四九年一二月一九日、被上告会社の事業の執行の過程において、上告人に対し暴行を加え、頚部捻挫、左胸部挫傷の傷害を負わせた(以下「本件事故」という。)、(二) 上告人は、本件事故により、入院雑費一万五五〇〇円、付添看護費一〇九万六〇〇〇円、休業補償費一〇五四万五四六五円及び慰藉料一八〇万円、以上合計一三四五万六九六五円相当の損害を被つた、(三) 上告人は、本件事故による傷害を原因として、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による休業補償給付二三九万五九八〇円、同法による傷病補償年金六七二万〇三八四円、厚生年金保険法(昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの。以下同じ)による障害年金(原判決中に「健康保険障害年金」とあるのは、記録に照らし、厚生年金保険法による障害年金の誤記と認める。)四九四万六〇二二円、以上合計一四〇六万二三八六円を受領した、との事実を確定したうえ、(四) 右治療関係費(入院雑費、付添看護費)、休業補償費及び慰藉料は、本件事故により上告人に生じた同一の身体傷害を原因とする損害の費目にすぎず、これらの各費目について計上される金額は、上告人が被つた右の損害を金銭的に評価するための資料となるにすぎないから、労災保険法ないし厚生年金保険法に基づく保険給付は、いかなる給付名義をもつてされたものであつても、それが本件事故による身体傷害を原因とする損害の填補の実質を有するものである限り、右損害に対する填補がされたものとして、前記損害の合計額から右保険給付額の合計額を一括して控除すべきものである、(五) そうすると、上告人が本件事故によつて被つた損害は全額填補されたことになり、また、右損害の填補が本訴提起とは関係なくされたものである以上、上告人主張の弁護士費用相当の損害も本件事故によつて生じたものとはいえないとして、上告人の本訴請求を全部棄却すベきものと判断している。

しかしながら、右の判断は、本件事故によつて上告人が被つた損害のうち、休業補償費に相当する損害が右各保険給付を受領したことによつて填補されたことになるとした点を除いては、これを是認することができない。その理由は次のとおりである。

労災保険法又は厚生年金保険法に基づく保険給付の原因となる事故が被用者の行為により惹起され、右被用者及びその使用者が右行為によつて生じた損害につき賠償責任を負うべき場合において、政府が被害者に対し労災保険法又は厚生年金保険法に基づく保険給付をしたときは、被害者が被用者及び使用者に対して取得した各損害賠償請求権は、右保険給付と同一の事由(労働基準法八四条二項、労災保険法一二条の四、厚生年金保険法四〇条参照)については損害の填補がされたものとして、その給付の価額の限度において減縮するものと解されるところ(最高裁昭和五〇年(オ)第四三一号同五二年五月二七日第三小法廷判決・民集三一巻三号四二七頁、同五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)、右にいう保険給付と損害賠償とが「同一の事由」の関係にあるとは、保険給付の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解すべきであつて、単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。そして、民事上の損害賠償の対象となる損害のうち、労災保険法による休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金保険法による障害年金が対象とする損害と同性質であり、したがつて、その間で前示の同一の事由の関係にあることを肯定することができるのは、財産的損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)のみであつて、財産的損害のうちの積極損害(入院雑費、付添看護費はこれに含まれる。)及び精神的損害(慰藉料)は右の保険給付が対象とする損害とは同性質であるとはいえないものというべきである。したがつて、右の保険給付が現に認定された消極損害の額を上回るとしても、当該超過分を財産的損害のうちの積極損害や精神的損害(慰藉料)を填補するものとして、右給付額をこれらとの関係で控除することは許されないものというべきである。労災保険法による保険給付を慰藉料から控除することは許されないとする当裁判所の判例(昭和三五年(オ)第三八一号同三七年四月二六日第一小法廷判決・民集一六巻四号九七五頁、同五五年(オ)第八二号同五八年四月一九日第三小法廷判決・民集三七巻三号三二一頁。なお、同三八年(オ)第一〇三五号同四一年一二月一日第一小法廷判決・民集二〇巻一〇号二〇一七頁参照)は、この趣旨を明らかにするものにほかならない。

これを本件についてみるに、上告人が本件事故によつて被つた損害の内容及びこれに伴い上告人が受領した労災保険法及び厚生年金保険法に基づく保険給付が前記のとおりであるというのであるから、前記の説示に照らし、右保険給付は、上告人の被つた前記損害のうち、休業補償費についてのみ同一の事由についてされたものとして填補関係を生じるにとどまり、前記の入院雑費、付添看護費及び慰藉料との関係では填補関係を生じるものではなく、したがつて、右各損害につき前記の保険給付額による控除をすることは許されないものというべきである。そうすると、前記損害の合計額から保険給付額の合計額を控除し、その結果、上告人の損害は全額填補されたことになるものとし、ひいて弁護士費用相当の損害も認められないとした原判決には、右の点において法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべきであり、右違法は判決に影響するものであることは明らかというべきであるから、この違法をいう論旨は理由がある。しかるところ、上告人は、自らが被つた損害につき三割の限度で過失相殺がされるべきことを自認し、前記損害のうち、入院雑費、付添看護費及び慰藉料の合計額二九一万一五〇〇円に弁護士費用六五万円を合算した三五六万一五〇〇円の七割に相当する二四九万三〇五〇円及びこれに対する昭和四九年一二月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払請求の限度で原判決の破棄を求めているので、右の範囲で原判決を破棄するにとどめることとする。そして、本件については更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につきこれを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島谷六郎 裁判官 牧 圭次 裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一)

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